雪舟さんは、今から600年前の1420年頃から1506年頃(1502年没という説もあり)の日本を代表する水墨画の画聖で、個人絵画で国宝6点は雪舟さんだけです。「雪舟」は号で、いみなは「等楊(とうよう)」と称しました。
岡山県総社市で生まれ、地元宝福寺でネズミの絵をを涙で描いた話はあまりにも有名です。
その後京都の相国寺に修行に行き、そこで周文、如拙に絵を教わりました。その時に、益田の城主「益田兼堯」と知り合います。そして、山口へ移り、遣唐使として3年間中国に留学て水墨画の技法を学びました。帰国後、修行の旅を続け、3度益田を訪問し、15代領主益田兼堯に招かれて「益田兼堯像」を描き、それが今雪舟の郷記念館に展示されています。1億円で購入されてということです。その時に、兼堯に頼まれ、益田にある二つの寺の医光寺および萬福寺に趣が異なる2つの庭園を築きました。
また、その後再び益田に招かれ、「四季花鳥図屏風」を描きました。そして、晩年80歳を過ぎて、益田市で東光寺(今の大喜庵)で住職として、晩年を過ごし、87歳に、益田でなくなったと伝えられています。
益田では、皆雪舟さんと呼んで、市民に親しまれて、おります。
【雪舟の紹介冊子】
雪舟について紹介した冊子No1~No.4がありますので、ご覧ください。
※PDFファイルでの掲載となります。